
忠度塚(ただのりづか)は、明石市内に複数残る源平合戦の史跡の一つ。
平安時代の平家一門の武将、平忠盛の六男で平清盛の弟の薩摩守平忠度が、一の谷の戦いに敗れ、両馬川(明石市天文町1丁目)で、六弥太に討たれその亡骸が眠ると伝えられる場所。
腕塚神社から南へ徒歩5分のところ(地方裁判所の北東)に忠度塚がある。
鎌倉時代に近隣の人々により五輪塔が建てられ供養されていたが後に荒廃。
江戸時代に明石藩主松平山城守忠国が延宝年間に修復。
一ノ谷合戦で敗れた平忠度の右腕を祀る「腕塚神社」は、忠度塚から徒歩5分の場所にある。
神戸市長田区にも腕塚と胴塚(首塚)がある。

石碑

案内板

腕塚神社は北へ徒歩約5分
| 名称 | 忠度塚 | フリガナ | タダノリヅカ |
| 住所 | 〒674-0881 兵庫県明石市天文町2丁目 |